ひとり から ふたり へ ⑤ ~3月10日 始まり

 3月10日午前9時50分、約束の時間の10分前。ぎりぎりまで畑で作業してから、最寄り駅である八木駅に向かいました。

 新規就農して、無農薬無肥料栽培、自分で野菜セットを配達して生計を立てていました。前年にはトラクターを手放し、60aの畑と6aの水田を一人で手作業でこなすようになり、自家採取の種類も一気に増やしていました。そのため、八百屋さんや農家友達つながりで興味を持ってくれる人が多く、当時はよく圃場見学の人が来ていました。味噌はもちろん畑で採れた豆と米を使って作っていて、醬油も畑で採れたものを使いたくて小麦の栽培にも力を入れ始めたりしていたので、農産加工品に興味のある女性の見学者もちょくちょくありました。

 その日もいつも通りの見学者の対応のつもりでいました。畑の案内をして、少しこれまでの就農前後の経緯など話して、その人が興味のあることなど話を聞いて・・。それが終わったらまた畑作業の続きをしようと思っていました。

 前の週の火曜日にフランク菜ッパで話したまきさんを八木駅に迎えに行くと、真っ赤な長靴を履いて駅から出てきました。旭町に戻って、いろいろ説明しながら何枚かある畑を順に案内しました。しごく真面目な顔で、熱心そうに説明を聞くまきさん。ちょっと不思議に思ったのは、あまり畑や農業を知らない感じだったことでした。大概、畑の見学に来る人は農業のことや環境のこと、社会のことなどにすごく興味がある様子で、本やインターネットなどで得た情報などを熱心に喋りたがる人が多数でした。しかし、まきさんはこちらが拍子抜けするほど何も言わず、説明を理解しているのかいないのかもよく分かりませんでした。

 3月上旬、亀岡市旭町はまだ寒いので、ひとしきり案内が終わったら家で少し話すことにしました。外が寒いので、ストーブをつけてほっと一息。コーヒーも淹れておもてなし。小一時間ほど話すと、正午を知らせるサイレンが響きました。きりがいいのでそろそろ、と帰ることになりました。帰りはいつも亀岡駅まで送ることが多いので、同じようにしました。車中の様子から、見学に満足したことは分かったので良かったなと、とりあえず安心しました。

 当時田んぼに囲まれていた亀岡駅北口で彼女を見送ってからの、家までの帰りの車中。何だか分からないけれど、腹の底から笑いがこみ上げてきました。畑でどんなやりとりをしたか、家で何を話したか、今では何も覚えていません。特にそれは大した問題ではなかったんでしょう。

 今思い返せば、ヨロコビだったんだろうなと思います。一人で運転しながら身体が震えるほどの笑いが生まれてくるのがただ不思議で、続いて頭に浮かんだ言葉には自分でも驚きました。

 「あの人と一緒に暮らそう。」

 その後の、内気で引っ込み思案なヒライタカヒコの涙ぐましい努力については、恥ずかしくてここでは書けません。何はともあれ1か月後には結婚が決まり、その年の8月から一緒に暮らすことになりました。

  ヒライタカヒコが一人で始めたとうかげんにまきさんが加わり、新しい物語が始まることになりました。この始まりは、大きな変化をもたらして、山あり谷あり紆余曲折を経て、さらにまた別の物語へと続きます。

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